足立香子歌集『蝸牛』
ああ、これは間違いなく平井弘から受け継いだ息づかいだ、と感じる。
捩じ曲がるピーマンの内にいるものを見ずには食べるわけにもいかぬ
真昼間にあまたの星のつぶつぶが見えたとしても慣れるまでです
纏めようとするものだから翔つものはほら竜巻になってしまった
どこか不吉なモチーフ。ものが見えるようで見えてこない描写。初句から結句までひと息に詠い下ろす文体。これらすべてが、なにか肝腎なことが隠されていそうな不安を掻き立てる。歌のなかに、平井弘が息づいている。
作者の足立香子は、岐阜に住み、平井弘短歌塾の生徒として短歌を詠むようになったのだという。
平井弘の短歌塾、と聞いて驚いたのはきっと僕だけではないだろう。歌集を読むと、あの唯一無二と思われた歌風がたしかに継承されていることにさらに驚く。
落ち着けよあれはおまえだいくたびも鏡にあたっている鶺鴒よ
逃げてゆく蕾を追ってタチアオイ先端は不安をぬぐえぬものよ
自然詠を引いた。宿命としての痛ましさ。生きることの根源的なおそれと身震い。似ているのは単に文体だけではないことが、はっきりとわかる。
原子炉に入るロボットに息をのむよかった人の形をしてない
降伏を言い出せなかった心には遡れずに桜さくらさくら
いわゆる社会詠の作品。「よかった」や「桜さくらさくら」など、時事や歴史を暗喩に託すのではなく面と向かって詠うとき、作者は溜めた息を静かに吐き出す。その声なき声が、読者の心に深い余韻を残す。
「たどたどしい歌を集めた一冊ながら、臆せず歌いあげていてよろしいと、まずはエールを送っておこう」――という跋文を平井弘は本歌集に寄せている。「たどたどしい」とは、よく言ったものだ。他ならぬ平井弘の言葉であれば、読み飛ばすわけにはいかない。「たどたどしさ」とは戦中戦後の「声高なもの」を撃つために、平井自身が年月をかけてつくり上げた批評の方法、そのものだったはずだ。
作者は平井弘短歌塾を経て「かりん」に入会したそうだ。師の「たどたどしさ」を学んだ歌人がこれからどんな作品をものにしていくのか、目が離せない。
蛞蝓を俳句のそれと見たてれば蝸牛が背負うあとまだ十四
(砂子屋書房・2018年)
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「現代短歌」2019年5月号に寄稿した書評です。平井弘短歌教室、気になります。岐阜からZoomで配信とかしてくれないものでしょうか…無理か…
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