シアター31

歌人・土岐友浩のブログです。

藪内亮輔歌集『海蛇と珊瑚』


 二〇一二年に「花と雨」五十首で角川短歌賞を受賞した作者の第一歌集である。

傘をさす一瞬ひとはうつむいて雪にあかるき街へいでゆく

 非常に抽象的な歌だ。そしてそこに、藪内の資質がよく現れている。「ひと」とは誰なのか。親密な人物か他人か、男性か女性か。僕たちはつい歌に具体を求めてしまうけれど、ここに書かれているのは言わばシルエットのような「ひと」の動きであり、藪内はその抽象性に美を見出す。
 歌集には「数式」や「方程式」の語も登場する。藪内は数字を代数に置き換えるようにして世界を抽象化し、展開する。

墓地に立つ断面あまたそのひとつにましろき蝶の翅がとまりつ

 この「断面」の語もまた、数学的な世界観を想起させる。世界が垣間見せる「死」の断面。その数々。一匹の蝶は、たとえるなら微分係数のような存在だろうか。どれほどの「死」を前にしようとも、「死」の正体をつかみ、定義することは、ついにできない。
「花と雨」は受賞時からその美意識と圧倒的な構成力が絶賛されたが、連作を読み返したとき僕の脳裡に浮かんだのは、不可知の「死」を恐れる無力で孤独な青年の姿に他ならなかった。

片翅に「死ね」片翅に「死ぬ」と書きはなつた蝶がどこまでも飛ぶ

 藪内が「死」を詠うとき、その暴力性に言及しないわけにはいかない。本誌(「現代短歌」二〇一八年十二月号)の拙文「暴力考」で論じたように、暴力とは本質的に強者と弱者の力の差に由来し、強者が弱者に行使する暴力と、弱者からの反撃とに二分される。
 歌集には連作「しなせる」など自己のもつ暴力性を批評的に表現した作品も多い。だが僕が注目したのは後者、つまり、より強大な力に対する抵抗としての「暴力」である。
 それは「社会」でも「世界」でもない。もっと普遍的で、絶対的な権力者――すなわち「死」ではないだろうか。僕たちは誰一人として「死」に逆らうことはできない。藪内は詩(……私)の果てにある「死」を恐れるがゆえに、「死」(……詩)を愛する。その戦いを、まったく勝ち目がないとあきらめることは、たやすい。

 個人的なことをひとつだけ記せば、僕にとって藪内は、京大短歌会や神楽岡歌会で短い間だが一緒に歌会をした仲間だった。藪内の歌集が出るという噂を最初に聞いてから、本当に長い時間が経った。こうして完成した歌集を読み、藪内は、何年も、たった一人で戦っていたのだ――と思いを馳せるばかりである。

ゆきやめば傘をばさりと仕舞ふのみ死がくれば死と刺し違ふのみ

角川書店・2018年)

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「現代短歌」2019年4月号に寄稿した書評です。微分積分数学的帰納法…と昔の知識を引っ張り出しながら書きました。他にも、いろんな切り口で語りたくなる歌集です。

■藪内亮輔『海蛇と珊瑚』
https://www.kadokawa.co.jp/product/301607000286/